2006年3月5日 無意根山雪崩事故報告書


報告者 小河 健伸

●パーティー●
リーダー 小河 健伸 (北大山スキー部OB8)
サブリーダー 宍倉 優二 (北大山スキー部OB4)

  事故当日の別働隊(小屋番)   水島 (山スキー部3)、佐々木 (山スキー部2)

●地図●


●スロープ名と当日のトレース●

        
むいねやま
無意根山
 札幌市南区、定山渓の奥の薄別に登山口。冬期は3.5h〜4.5hで無意根小屋、1.5h〜2.0hで山頂。旧豊羽鉱山(旧無意根山荘)から千尺高原経由で無意根山を目指すルートも人気。





シャンツェ  ダケカンバの疎林〜中密林、標高差130m、斜度25度〜30度程度。東向きのため、季節風が強い時もよい雪が積もる。
シャンツェ側壁  ダケカンバの中密林、標高差50〜100m、斜度35度程度の急斜面。山スキー部では通過時弱層テストを行うことが多い。
テラス  樹林外、標高差80m、斜度25度〜30度程度。雪質がよければ広くて快適な斜面。
 小カール状地形、尾根上などまばらにダケカンバ、標高差150m、斜度35度程度。残雪期は急斜面のスキー練習場、積雪期は要注意(山スキー部の部内ルールでは4月1日以前は立入禁止)。

 (06年11月12日加筆)

●経過●
  2006年3月4日(土)
8:00〜9:00  小河車で他の3人を回収し、薄別に向う。
10:00  薄別着。
10:30  薄別発。天気は晴れ、気温が高く、標高の低い林道下部では陽が射している部分は雪質が劇的に変化していき、ザラメ化しているところもあった。大蛇ヶ原から稜線が見える。
14:00  無意根小屋着、小屋周り除雪。
14:30  シャンツェにスキーに出発、登りでは20〜30cmのパウダーのラッセルで、良いスキーが期待できる。樹林内ほぼ無風だが樹林外は風あり。シャンツェ1本、シャンツェ側壁1本スキー。シャンツェを登る前の側壁下で弱層テスト(15cm肘)、側壁を滑る前に弱層テスト(15cm手首強〜肘)。弱層のすぐ下の積雪は非常に堅い(雨の影響か?)。シャンツェは日が当って若干重くなったパウダーだが浅いので滑って面白く感じられる。シャンツェ側壁は日が当りにくいので軽いパウダーが残り楽しい。側壁滑走時は急斜面で一部点発生で表層が崩れるがそれほど危険ではないと言う認識だった。
15:30  小屋着。夜も快晴、満天の星だが夜半から風強くなる。降雪無し。
  2006年3月5日(日)
9:00  小河、宍倉の2名でテラススキーに向う。水島、佐々木は掃除のため小屋に残る。曇、薄日差す程度。
10:00  テラス下に到着。ウィンドパックされた雪質のため危険性は低いと判断して弱層テストは行わずにテラスを一本スキー。滑走は難しい雪質。テラス上部はガス、フードする程度の風。
10:20  壁上部(三本樺の上)に移動。雪庇は発達しておらず、壁を滑って小屋に戻るために壁の小尾根上の木が生えている上(壁最上部から15m)まで雪質を確かめながら移動。尾根上はウィンドクラスト。右手の斜面の吹き溜まっていそうなところで弱層テストを行う。深さ50cm程度まで円柱を掘り、ハンドテストを行う。15cm肩程度の弱層、以下はかなり固い締まり雪。弱層の種類は注意して確認してはいなかったが、アラレ等の層ではなく、霜系の弱層であると推測される。風はあまりなく、視界は良好。
10:30  滑降には問題ないと判断し、宍倉がさらに右手の斜面へトラバース。だんだん吹溜りが深くなり、膝ラッセル程度。斜度は35度以上。宍倉は途中ジャンプしながら雪の感触を確かめていたが、滑降開始ポイントに進もうとした瞬間クラックが入り雪崩れる。幅30m、破断面は30〜50cm。音はあまりせず、スパッと割れた瞬間に宍倉も流される。20m程度下の小ブッシュに絡まりながらさらに流されるところまでは見えたが、以降小尾根に阻まれ小河の視界から消える。雪崩が止まり、コールしたらすぐに「無事」の返事が帰ってくる。(デブリが止まった段階で斜めに立った状態で脚だけ埋まっており、自力で脱出。手袋片方、両ストックはバラバラに流される。スキーは片方開放するも流れ止めで付いていた。)
 小河は比較的安定していそうな小尾根上をスキーのまま斜滑降、キックターンで降りる。すぐに宍倉を確認、そのまま壁中部まで下りる。
 デブリに残された宍倉の手袋(片方)を回収し宍倉と合流。宍倉は右肘を打撲している様子だが他には外傷はないもよう。30m下に見えていたストック片方を回収してデブリ末端まで移動。ストック片方は紛失。
 デブリは標高差200m、距離300m程度。厚さは30〜50cm程度と思われる。
10:50  デブリ末端で雪崩の全容と流出点、停止点などを確認、証拠写真を撮影。
11:00  デブリ末端出発。
11:10  無意根小屋着。雪崩現場は小屋から確認できるため、目撃されていたら心配をかけているかと思ったが、小屋番は掃除中で気付いていなかった。お茶を飲みひと休みしたのち、薪入れなど作業を行い、昼食を取る。
13:30  小屋出発、下山開始。
14:15  薄別着、下山連絡。
下山後  負傷した宍倉の右肘は、下山後病院の診察で骨折(ヒビ)していたことが判明。全治2週間。


     
宍倉停止ポイントから横   宍倉停止ポイントから上   雪崩全景
デブリ末端(壁下)から
  破断面アップ
デブリ末端(壁下)から
     
解説付き   解説付き     解説付き


●事故当時の雪質と判断●
 壁は吹き溜まっていた。
 弱層テストを行った場所は雪崩が発生した斜面と繋がっていたが、雪崩を誘発した場所は斜度はきつく、吹き溜まりの雪の深さも違った。
 弱層テストの結果としては表層の吹溜り(弱層テスト地点では15cm程度)は「危険な弱層」ではなく、比較的安定していると考えていた。
 木は生えてはいるが下に行くほど急になる尾根上と、木のない緩い沢型(ボール状)では危険性にそれほど大きな差はないと考えていた。クラストしている尾根上よりもむしろ風の当っていないボール状の方が滑走はしやすいと考えいてた。
 雪崩れる直前に宍倉がジャンプしながら雪崩発生点に近づく段階で、後から観察しながら「予想以上に急だな」とは思ったが、雪崩れるとは想像できず、宍倉に声をかけることもしなかった。

 ※ 本事故の翌日(2006年3月6日)、十勝連峰三段山で雪崩遭難事故(単独、死亡)が発生している。山域は離れているが、北海道内の広範囲で雪質が不安定であった可能性もあると考えられる。

●雪崩発生の原因●
 木の生えていない急斜面で、新雪が不安定に吹き溜まった所に入り込んだため発生した人為的面発生表層雪崩。
 弱層テストに頼りすぎ、@急斜面、A新雪の吹溜り、B木が生えていない、等の状況を総合的に判断することが出来なかったことが原因と考えられる。
 また、C高気圧に覆われ南風が入り気温が上昇、雪の結合力が緩んだことも一因と考えられるが、現地では判断材料として活用できていなかった。(06年11月12日加筆)

●比較的軽傷で済んだ原因●
 雪崩れた表層が比較的浅かったこと。
 足元から崩れたあと、破断面より上の新雪が雪崩れなかったこと。
 斜度がすぐに緩くなり、さらに流されることがなかったこと。
 下に大木や岩など危険な障害物がなかったこと。
 かなり好条件が重なったと考えられる。
 
●その他●
 テラス上部はガス・風があったが事故現場の壁はガス・風もなく視界・声通りは良好であった。仮に条件が悪く、直後に宍倉の無事が確認できなかった場合はデブリの近く(もしくは上)を捜索しながら下降しなければいけない状況も想定され、さらに危険な状態に陥る可能性もあった。
 視界・声通りの良い状況だったことはかなり好条件だったと考えられる。

●雪崩発生時の捜索者の対応●
 宍倉が視界から消えた瞬間は何をしたら良いか一瞬わからなくなった。コールして返事があり、とりあえず無事であることを確認してから自分の置かれている状況を認識できた。
 すぐに宍倉の近くに行く必要があるため、安全性とスピードを考えて尾根上をスキーのまま下ることにした。仮に宍倉のコールがなかったとした場合、視界から消えたのが壁中部であったことを考えると、同じルートを取り、壁下から捜索した可能性が高いと考える。あの状況で破断面まで行って上からツボ足でビーコン捜索はかなり危険性が高い。
 雪崩発生前はでは写真をとるつもりでファインダーを覗いていたが、ファインダー越しにクラックが入った瞬間にカメラは手放した。シャッターは切れなかった。また、ビーコンを受信モードにしてみることも行わなかった。結果的に無事だったことを考えると、写真を撮りビーコンを受信モードにしてみれば事故分析のための貴重な資料になりえたが、現場では全く余裕がなかった。

●総括●
 「無意根の壁は4月1日になるまで入らない」というのが山スキー部現役部員の不文律としていわば「掟」のようなものである。私はそれについては今まで否定的な考え方を持っており、雪崩判断は随時そのときの条件を考えてするべきであり、「掟」をそのまま鵜呑みにすることは各自の判断能力を停止させ、かえって総合的な判断能力がつかないと考えていたし、現在でもその考え方は基本的には間違ってはいないと考える。
 しかしながら今回はその「総合的な判断」が間違っていた。「弱層テスト」の結果に重きを置きすぎ、「総合的な判断」が出来なかったことが全ての原因であると考える。
 自己分析では「無計画性」や「衝動的行動」、「急斜面への強い志向」があったとは思わないが、自分なりに経験を積んできた中での「急斜面への馴れ」が判断を誤らせた原因の一つに挙げられると考える。「掟」をそのまま鵜呑みにするのは危険であるが、「掟」には過去から蓄積された経験に基づいたものが多く、その経過を理解することは重要である。
 また、雪崩に対する情報収集や勉強意欲が、15年前に山スキーを始めた頃に比べて低下していたことも一因と考える。
 今回の事故を省みて、自分の雪崩判断の甘さを自覚せざるを得ない。
 今後一層の自己研鑽の必要性を痛切に感じる次第である。

 蛇足であるが、今まで小河と行動を供にし、小河の雪崩判断に疑問を抱かなかった方は、今回の場面に出会ったときに小河と同じ判断をする可能性があるということを認識し、今後の自己の雪崩判断の一材料とされることを願う。

●参考:気象データ●
2006年2月上旬〜3月中旬の札幌の気象データ・・・(気象庁アメダスデータより)


直前から当日・翌日までの天気概況(全国)・・・気象庁HPより抜粋
3月1日 深い気圧の谷 南岸を前線を伴った低気圧が東進。中国東北区にも上空の気圧の谷。全般に雨で北日本では雪のところも。各地、真冬並みの最高気温。気象庁の数値予報用コンピュータ更新。
3月2日 冬型の気圧配置 西日本を中心に寒気流入、東シナ海〜日本海西部には寒気に伴う対流雲が発生。西日本の最高気温は、ほぼ真冬並み。埼玉県熊谷市、岡山市で平年より20日前後遅くウメ開花。
3月3日 北海道上空-40℃の寒気 札幌市上空5200m付近に流入、北日本は雨や雪。冬型の気圧配置で西日本の日本海側〜北陸も雨や雪。その他は曇りや晴れ。15時までに北海道網走支庁滝上町で30cm/24hの降雪。
3月4日 移動性高気圧 東・西日本は高気圧に覆われ晴れ。北日本は気圧の谷が通り所々で雨や雪。気温は北日本は平年並み、東・西日本は低く2月上〜中旬並み。長崎県五島市でモンシロチョウ初見。
3月5日 穏やかな晴れ 南海上から高気圧に覆われ、北日本の一部で雨や雪のほかは、各地晴れ。気温は全国的に高く3月中旬〜4月上旬並み。今日としで平年より14日遅くウメ開花。
3月6日 関東 春一番 日本海北部からサハリン付近に低気圧が進み、南の高気圧からの南西風がやや強く吹いた。最大瞬間風速は、横浜市21.9m/s、千葉市21.6m/s、東京大手町21.3m/s。気温も上昇。

なお、過去の天気図については
気象庁HP  ホーム > 気象統計情報 > 天気予報・台風の資料 > 日々の天気図
http://www.data.kishou.go.jp/yohou/kaisetu/hibiten/index.html

にPDFデータがありますので、ダウンロードしてご参照ください。

 (06年11月12日加筆)

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 以上が今回の事故を自己分析した結果ですが、上記報告内容について客観的な立場で忌憚のない御意見御指摘をいただければ幸いです。

2006年3月22日 第1稿

2006年9月28日 第2稿 (一部訂正)

2006年11月12日 第3稿 (一部加筆)

※ この報告書は、関係者からの指摘を得て後に書き換えることがあることをご了承ください。

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