思い出すままに記憶をだどりて
少年は、幼き日のわたしである


・早春、ニシンを箱ごと買って(配給だったかな)来る。土手からワサビをとり、それをちょっぴりのせて食べる。あのころのニシンはおいしかった。


・母が弟の出産のため入院中。朝食のおかゆ(鍋に入れて)を運んだ。途中、大きなポプラ並木の葉音がザワザワとなっていた。入学前の1ページだった。


・出窓に座り、トーキビ(とうもろこし)をほおばり、外を眺めている。外は、大雨である。なぜか、心が落ち着いたものだった。


・母と、リヤカーでリンゴを売って歩いた。売れたかどうかはさだかでないが、楽しかった。品種は、今は、ほとんどないであろう12号・49号だった。


・下校時、雨に遭うと、よく神社の境内で雨宿りをした。数人の子どもたちで、雷が鳴ると、電気が通るものを身につけていないか気にしていた。夏の夕立が偲ばれる。


・もちまわりのように、毎晩カルタ(百人一首)とりに近所の家に出かけていった。4,5人から12,3人も集まった。休憩時には、もちを振る舞ってくれたものだ。冬の楽しみの一つだった。


・大晦日のお酒がすすんで、父は「さあ、カルタでもするか。」など、たいていは機嫌がいい。ちょっとしたことで、珍しく子どもたちをほめる。子どもたちはチャンスとばかり「あれほしい」「これほしい」とおねだりをする。父は、「よし、よし」と聞き入れてくれる。母は、「そんなこといって」と、笑っている。当然のことながら、次の日チャラになる。かすかな望みは持ちながらも、子どもたちはちゃんと心得ている。


・風呂上がりの夕方、寝布団の上に大の字になり、涼む。開け放たれた縁側から、ゲロゲロとカエルの合唱が聞こえてくる。なんだかゆったりするひとときだった。


・戦後まもなく、隣の工場(旧ホップ工場)の二階より一階を眺める。大人たちがダンスを踊っている。社交ダンスというものだった。煙に包まれた、一種異様な風景だった。初めて見る光景だった。


・ミミズを糸で通した数珠状の仕掛けを、蛇籠(じゃがご)の隙間に垂らす。カジカが顔を出す。パクリと食らいつく。タイミング良く、さっと魚籠(ビク)に入れる。カジカは、餌を離すが後の祭り。川面に映る姿は、麦藁帽をかぶった元気な男の子だった。


・輪が走る。少年も走る。カラカラカラ。落ち葉でつくった道を走る。理屈抜きで走る。なぜか走る。慣れた力が走らせる。楽しい輪っぱ回しをして走る。


・神社の境内の木々。こもれびの中に、一筋のたき火の煙が物静かにたなびく。そんな中を、カサカサとささやく葉音を聴きながら歩くのが好きだった。


・空知川の岸辺にイタドリのほったて小屋もどきをつくった。ぼくらは、少年探検隊。ぼくらの基地だった。


・もぐる。もぐる。川底をはりつくようにもぐる。泳ぐ。泳ぐ。犬かき泳ぎ。幻の魚イトウと泳ぐ。あっ、蛇だ。首だけ出して泳いでいく。少年より、断然うまい。


・用意、どん!楽しみの一つ運動会。「おや?だれか僕を呼んでいる。」「あっちのほうだな。」なんと、応援している観客席のほうへ走っていくではないか。大笑いの一年生だったという。それはそれ、お昼。いなり寿司、巻き寿司、ゆで卵、サイダーが定番のご馳走。今でも、サイダーを飲むと、運動会の味がする。


・少年は、暗い納屋の中で、薪をゴシゴシ切っている。僅かな「台所(流し)の窓から漏れる明かりを頼りに・・・合唱の発表会のため帰宅が遅くなったのだ。暖房用の薪は少年の分担。誰も助けてくれない。黙々と、明日の暖房のために。夜のとばりの早まった初冬のことだった。


・きょうだいが、ずらりと横たわっての就寝。扇風機のない時代。うちわ一つ。交代でうちわを扇ぐのだ。あおがれて、みんなほんとに涼しそうな、満ち足りたさわやかな顔をして目を細める。あおぎ手は、暑いが、次は、自分が涼しくなれる楽しみがあるので頑張る。暑い夏の蚊帳の中の夢物語。


・日は、とっぷり暮れていた。月明かりの中、家族総出の稲かけ。投げ手、かけ手、運び手。こども心にも一種の開き直りで働く。空腹も忘れて、なにやら楽しい話題、また、歌を口ずさんでいた。〜秋の夕日に〜月の砂漠を〜青い月夜の〜きれいな花よ菊の花〜お月様が笑っていた。